訪問鍼灸のヒヤリハット|96歳・認知機能低下の腰痛紹介で起きたこと
この記事を読む理由
この記事は、
**「判断としては正解だったのに、後から強い違和感が残った経験がある支援者・施術者」**向けの記録です。
技術の話ではありません。
ミスの反省でもありません。
最後まで読むと、
**「結果が問題なかった時ほど、振り返るべき判断」**がどこにあるのかが整理できます。
事実関係(評価を入れずに書く)
- 96歳
- 中等度の認知機能低下あり
- ケア職から「腰痛がある」と紹介
訪問時、本人はこう話しました。
「誰や?何しに来たん?」
紹介経緯を説明すると、
「腰が痛いって聞いたよ。〇〇さんから頼まれて来たんやで」
「ああ、腰は痛い。でも今日は痛くないな」
その日は、
触っても、動かしても、痛みの再現はできませんでした。
本人も「ありがとう。大丈夫」と落ち着いていました。
翌日の再訪問
翌日、再訪すると、
「あなた誰?」
改めて説明すると、
「そうなんやな、ありがとう。
でも今日も腰は痛くないで」
この日も、
痛みの再現はできませんでした。
共有した判断
経過はそのまま、
ケア職・家族に共有しました。
- 痛みの訴えは不安定
- 再現性はない
- 現時点での緊急性は低そう
- 引き続き様子を見る
判断としては、
特におかしな点はありません。
ただ、
強い違和感だけが残りました。
後日わかったこと
数日後、ケア職から連絡が入りました。
病院受診の結果、
大腸癌による癌性疼痛だったとのこと。
あとから分かったのは、
私が訪問していた前後数日間、
家族が別疾患で処方されていたかなり強い鎮痛薬を、
本人に服用させていたという事実でした。
その情報は、
私には共有されていませんでした。
技術の問題ではなかった
振り返っても、
- 触診や評価に明確なミスはない
- 観察不足とも言い切れない
- 判断を急いだわけでもない
結果論としても、
その場で大きな問題は起きていません。
それでも、
背筋が冷えた感覚だけが残りました。
冷えた理由は「判断の射程」
違和感の正体は、
**「自分が持ってはいけない判断を、持ちかけていたかもしれない」**という点でした。
- 認知機能が低下している
- 痛みの自己申告は信用できない可能性がある
- 服薬状況を自分は把握できていない
その条件下で、
「様子見で問題ない」という判断を、
結果的に自分が引き受けていた。
正解だったかどうかではありません。
その判断を、
自分の役割として持ってよかったのか。
そこが、いちばん冷えた部分でした。
正解だった判断が、一番危ないことがある
この経験から残ったのは、
「もっと慎重にすべきだった」という反省ではありません。
- 結果が良かった
- 技術的に間違っていない
- 周囲からも問題視されなかった
この条件がそろった時こそ、
判断は一番腐りやすい。
そう強く感じました。
まとめ|結果ではなく、判断の位置を振り返る
この出来事は、
- 技術ミスの話ではありません
- 家族やケア職を責める話でもありません
- 「こうすべきだった」という正解提示でもありません
ただひとつ、
「その判断を、誰が持つべきだったのか」
それだけを考えさせられた現場でした。
結果が問題なかった時ほど、
判断の位置は、あとから静かに見直す必要があります。
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